主にイギリス・フランス・ドイツを中心に、フレンチ・ポップスやシャンソン、アートロック、アヴァンポップ、エレクトロポップ、映画関連など多数のジャンルを取り扱っております。好きなアーティストや作品への拘りもありコンディションの良い品揃えを心がけていますので、ぜひご利用くださいませ。
●『クララの森・少女愛惜』●サブchouchouの趣味のサークル『BRIGITTE』(フレンチ・女性ヴォーカル・映画と文学・少女愛好の会)内のブログです。心のミューズたち、永遠の少年少女たち、素晴らしき歌姫や女優たち、音楽・映画・文学・アート等について気ままに綴っております。ブログ内で参考にさせて頂いた作品の在庫のないものもお取り寄せ可能なものは販売させて頂きます。お気軽に「お問い合わせ」ください。どうぞ宜しくお願い致します。

2011年6月
サブchouchouの「シャンソン&ロック&映画鑑賞、そして百折不撓日記」:11
2011年06月18日

 1991年のベルギー映画『トト・ザ・ヒーロー』が大好き!この映画は不思議なファンタジー映画。監督はジャコ・ヴァン・ドルマル。劇中で効果的にこの『ブン』が使われている。この映画のことは以前少し触れています。此方では本家のシャルル・トレネの古い映像がありましたので掲載させて頂きます。この曲は1938年のシャルル・トレネによる作詞・作曲。同年、映画『輝ける道』(ピエール・カロン監督)の中でご本人が歌われているのだそうですが未見です。"チク、タク、チク、チク”や”ピク、パク、ピク、ピク”、そして”ブ、ブン!”と僕らの心が鳴る。この擬音語と軽快なリズム、愉快な歌声が好きです。「シャンソン」にも色々な名曲が沢山ありますが、このようなファンタジックなシャンソンも魅力のひとつです。モノクロの美しい舞台で心和みます。優美な時代に夢を馳せて♪

シャルル・トレネの「ブン!」です。大好きなシャンソンの名曲の一つです♪

シャルル・トレネ:CHARLES TRENET  

1913年5月18日生まれ 没年:2001年2月19日  

 ★第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍され、多くの名曲を残された「シャンソン」というと欠かせないお方のおひとり。私の個人的な好みですが、幾つものお写真を眺めていると、その朗らかなクルクルした瞳の輝きが好きです。「シャンソン・ファンテジスト」の代表的なお方でもあります。あと、帽子姿が多いです。  

 ベスト盤などに必ずと云ってよい程、収録される名曲に1937年から1938年録音ものが多く、「喜びあり(Y A D'LA JOIE)」「青い花(FLEUR BLEUE)」「王様のポルカ(LA POLKA DU ROI」「ラ・メール(LA MER)」「メニルモンタン(MENILMONTANT)」「ブン!(BOUM!)」「私はうたう(JE CHANTE)」...と大変な時期です。その後も「残されし恋には(QUE RESTE-T-IL DE NOS AMOURS)」「詩人の魂(L'AME DES POETE)」他多くの名曲があります。  

 幼少時から曲を書いていたそうですが、15歳頃にドイツ(ベルリン)に留学されています。美術の勉強をされており絵を描いてもいたそうですが、その道ではなく歌の世界でチャンス到来!そのきっかけとなるお方にマックス・ジャコブとの出会いや映画があります。シャルル・トレネとしての前に「シャルルとジョニー」というコンビで活動されていました。同年代のジョニー・エスというスイス出身のお方と。けれど、戦争という時代もあります。兵役中にも曲を書いていたそうです。『歌う狂人』とも呼ばれる由来は、その在隊中に軍服とも平服とも云えぬ奇妙な格好で町に出向いて歌っていたのを、楽譜出版社のラウル・ブルトンが見初めたことによるものだそうです。愉快なお方です。

 そして、モーリス・シュヴァリエやジャン・コクトーの存在も欠かせません。「メニルモンタン」はシュヴァリエに捧げられた曲です。  

 ※ シャルル・トレネの初期のおおまかな軌跡を以前綴ったものです。私は「シャンソン・フランセーズ」という大きな枠組みでの音楽がやはり好きです。そして、音楽と同等に大好きな映画や文学との繋がりが強い曲が数多くあります。それらはフランスに限りません。音楽と映画が対を成して私の心に刻まれている曲たちは多いようです。

CHARLES TRENET / DOUCE FRANCE
2011年06月15日

 公開時に観てから年月を経た今も私の心に何かが刺さったままのような心の映画の一つである『冬の旅』という映画。アニエス・ヴァルダ監督作品が好きだし、さらに少女モナを演じているサンドリーヌ・ボネールがとても好きです。可能な限り作品を追っています。この『冬の旅』はドキュメンタリー風のロードムービー。18歳の少女が寒い冬の南仏で行き倒れたところから。冒頭から映し出される映像は美しく詩的です。最初と最後は四重奏の音楽が流れます。この少女モナに感情移入できない私がいながらも、羨望のような想いがあったのかもしれません。1985年の作品ですが日本公開は1991年。私は社会人となっていましたが、今よりももっともっと物質的な環境に恵まれて日々を過ごしていました。衝撃を受けたのだとは思いますが感動した映画とは思っていませんでした。  

 マーシャ・メリルという素敵な女優さまも出演されていますが、大半がその土地の人々にヴァルダが台詞を伝えて語っているのです。その人々はそれぞれ個性的です。盲目の老女が出演されます。そのお方と意気投合するモナのシーンが好きです。劇中、もっともモナの素敵な笑顔が見られるシーンです。深いテーマの映画ですので、また観たいと思いますが、大好きな場面は変わらないでしょう。車のラジオから音楽が流れモナの表情が和らぎリズムに揺れるのです。レ・リタ・ミツコの「Marcia Baila」♪この映画と同じ1985年(1984年の1stアルバムからの3rdシングル)のヒット曲です。私はレ・リタ・ミツコが当時から大好きです。2007年にご主人でもあるフレッド・シシャンが癌で亡くなってしまって哀しいのですが、いつまでも彼等の曲を忘れないだろうし、これからもカトリーヌ・ランジェのあの素晴らしい歌声を聴き続けるでしょう。やはり、多感な時期を過ごした80年代という時代は色々な思い出が連なり今も大切なもののようです。  

 原題は「屋根も無く、法も無く」あるいは「ヴァガボンド」。美しく詩的な映像で始まる寒い冬の南仏の木々。アニエス・ヴァルダ監督のナレーションが聞こえる。その中で、少女モナは”海からやって来たのかもしれない”と。凍てつく寒さの中海で泳いでいる。この18歳の少女の死を映し出し、彼女に出会った人々の証言たち。彼等はモナが死んだ事を知らずに語ってゆく。初めて観た折の私は正直モナを好きになれなかった。ヴァルダの作品はそれでも美しく、また、モナの何かが私に記憶され続けていた、今も。年月を経て、今想う事はモナの反抗、自由、孤独の中に見る崇高さのようなものに憧れる。イデオロギーに反発するのでもなく、モナは失うものを持っていない。それは孤独と表裏一体。「孤独」や「自由」って何だろう...人は誰もが孤独ではないか。でも、モナの孤独は死を持って崇高さを獲得したようにも想う。私は「自由」というものを真剣に求めたことなどない。育った環境や教育、モナの年の頃はバブルな時代を過ごしていた。また、私は「失いたくないものがある」。それ故に、社会との鬩ぎ合いの中でバランスを保ちながらどうにかこうにか生きている。ちっぽけな私の愛する王国のために。人生は苛酷なものであるという前提にそれでも、空を見上げることを忘れたくはないと。蒼い幻想...。  

 アニエス・ヴァルダは激動の時代を体験して来たお方。60年代という。この映画の中でプラタナスは重要。アメリカからやって来た菌に侵されたプラタナスは後30年で朽ちてしまうという(ドアーズの音楽が使われている)。それを放っておいてはいけないと研究している独身の女性教授ランディエ。証言の中で、彼女はモナを置き去りにしたことを後悔し、助手にモナを探して連れ戻すように依頼している。けれど、終盤、助手はモナを駅の構内で見つけるけれど、ランディエ教授には見つけたと言わなかった。彼は当初から、モナの汚れた髪や衣服、悪臭を敬遠していた。教授は寛容で「もう慣れたわ」と語っていた。私もモナと知り合えたら慣れていただろうか...。毎日幾度も手を洗う癖のある私がモナの垢だらけの指を我慢できただろうか(これは、単なる私の病理的なことに過ぎないのだ)...。複雑な想いが巡る中、それでもこのモナは光の少女として映る。美しいとも想う、このアンビバレントな気持ち。きっと、私には持ち合わせていない「自由」を持つ少女が羨ましくもあるのかもしれない。  

 それにしても、ヴァルダというお方は強靭だ。純粋無垢な少女として敢えて描いてはいない。モナは行きずりの男性と共に過ごすし、少女の汚れた爪を映し出す。女性監督ならではの感性、と言っても様々なのだと幾人かの女性監督が浮かぶ。私は映画を娯楽として愉しみ、また、多くのことを学び思考を強いられ苦しくなることもある。この作品はそんな一つ。サンドリーヌ・ボネールは撮影当時このモナと同い年位の頃。素晴らしい女優さま!  

モナは旅を選んだ。路上には、日常的な暴力があり、飢えと渇き、恐怖、そして寒さがある。彼女はそれを生き凌ぎ、何事が起ころうと、誰に出会おうとも意に介さない。私自身、彼女にひどくぞんざいにされた。が、それだけいっそう、彼女の孤独に胸をうたれる。(アニエス・ヴァルダ)  

 このお言葉にあるラスト「私自身、彼女にひどくぞんざいにされた。が、それだけいっそう、彼女の孤独に胸をうたれる。」を読み、私は涙に溢れた。上手く心を綴れないけれど、救われた気がしました。

 

レ・リタ・ミツコの「Marcia Baila」です♪

 

冬の旅(さすらう女)/ アニエス・ヴァルダ監督

2011年06月14日

我が心に生き続ける永久なるミューズ★NICO(ニコ)あるいはクリスタ・パフゲン その1♪

 思春期に感銘を受けた(時にあまりにも大きな衝撃、ショックとも)ヴォーカルたち。それらが随分の年月を経た今も私を捉えている。とても嬉しい事に思う。ニコ(NICO)という孤高のアーティストは今も私の心の住人であり続けている。音楽(芸術)の不思議な魅力のひとつ。ご本人はもうこの世には存在されないのだけれど...。

 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドより先に私はニコのアルバムを聴いた。その最初の出会いは『THE END ジ・エンド』(1974年)。当時、日本盤で入手可能な作品はこの再発盤だけだったのだ。音楽雑誌で何となく少しの予備知識やイメージは持っていた。しかし、そんなものはどこかにふっ飛んでしまった。でも、直ぐに好きになるとかその様な感覚ではなかったと思う。ただ、今までに聴いたことの無い世界、お声の圧倒的な存在に慄いた。ドアーズの「ジ・エンド」がアルバム・タイトルでありニコがカバーしている。ドアーズのオリジナルの方は、ラジオで「サイケデリック・サウンド特集」のような番組がありエアチェックして聴いていた。でも、ドアーズよりもずっと、ずっと、私はニコの歌う「ジ・エンド」が好きだと思い、今も変わらない。ニコはジム・モリソンと仲が良かったと伝え聞く。追悼の意も込めて愛を込めて自分の歌にしているように思う。

 ニコの『チェルシー・ガール』(1968年)を後で聴いたので、そのギャップに驚いたものだ。ニコのバイオグラフィー的なお話をすればもっと長くなるのでまた追々に。アンディ・ウォーホルのファクトリーに出入りしていた頃、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1stアルバムで3曲ニコのヴォーカル曲が聴ける。後に、当時のニコのお話をモーリン・タッカーが、「それはとても綺麗だった。」と回想し語っていた。その頃のニコは、白いパンツスーツと同じく白に近いブロンドの髪の色だった。うっとりする程美しい!ニコが好きになり、古いアルバムや出演した映画(ウォーホルや、フェデリコ・フェリーニやフィリップ・ガレル作品など)を古い年代順に視聴してみた事があった。髪の色がだんだんダークになり、ファッションも黒に。ニコは神秘的な巫女のようにも感じたりしていたけれど、とてもその時々に身を委ねながらも、実に素直なアナーキストのように思えた。ミステイクも傍らに。

 あのハーモニウムの音色と共に今も目の前で歌うニコの来日が甦る。ニコの英語の発音は歌い易いので勝手に声が出ていた(私はとても歌が下手なのだけれど)。そして、あんなに嬉しい時間をライブで体験した事は数えるくらい。嬉しいという表現は違うかな?見つめながら、歌いながら、最後まで泣いていた。幸せな時間だった。死の少し前の2度目のライブは大きなホールで旧友のジョン・ケイルが一緒だった。長い髪を三つ編みにしてスタンドマイクで歌ったニコ。私のこの2回のニコのライヴは永遠だと思う。生きながらも伝説化されがちだったニコだけれど、とても凄いオーラはあるけれど、人間だった(当たり前だけれど)。あの美しいお顔もむくれ、体型も崩れ、ドラッグ漬けのニコを何度も嫌いになろうとした私。なのに、今でもどうしようもない位に大好きで、今も何を書いているのか分からない程。あの三つ編み姿で歌ってくれた「ユーロジー・トゥ・レニー・ブルース」。清楚な綺麗なニコだった。そして、死とずっと隣り合わせに居たようなお方なので、その死の訪れも早かった。自転車に乗ってお買い物をするニコになっていた時間はそう長くはなく...。

 ニコの音楽、ヴォイスは祈りのよう。時に厳しくもあまりにも優しい崇高な世界。ニコの本名はクリスタ・パフゲン。ドイツ人だけれどトルコとロシアの血が流れている。そして、ニコは生涯放浪の人のような生活。なので、無国籍な雰囲気が漂っていた。そして、いつも孤独だった(のだと思う)。でも、歌(詩)でその孤独を表現する才能があった。なので、生まれ持った美貌はある時、とても邪魔に思っていたのではないだろうか?...と思うことがある。孤独な傷を負った少女は天から授かった美貌を武器に変える事を早くに放棄した。ニヒリストなカッコイイ戦う姿が浮かぶ。イギー・ポップがパンク・ロックの父だろう!デヴィッド・ボウイがニュー・ウェイヴの父だろう!そして、ニコはゴシック・パンクの母的な存在だと思う。ニコは自らの音楽を「ゴシック」と語っていたことを思い出す☆

 

★「The End」を歌うニコです★

NICO / THE END
NICO / The End
2011年06月14日

美しくも残酷な物語★『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』あるいは『クルエル・シスター(CRUEL SISTER)』  

 私が初めて聴いたトラッドフォークのレコードはサンディ・デニーのソロ・アルバムだったと思います。でも、まだ「トラッドフォーク」という音楽世界のことなど微塵も知らない頃。フォーク・ミュージックというかフォーキーな調べ、繊細な美しいアコースティック・サウンドは既に好きでした。その起源はフランソワーズ・アルディだと思います。この作品は、ペンタングルの1970年4thアルバム『クルーエル・シスター(クルエル・シスター)』です。メンバーはジャッキー・マクシー、バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン、ダニー・トンプソン、テリー・コックスという強力な5人組。古くからの伝承バラッド、トラッドフォークの素材と新しさを融合させた「ペンタングル」独自の音楽世界を物語性を帯びながら、ラストの18分40秒に及ぶ大曲まで聴く者を魅了する名作です。  

 サンディ・デニーからフェアポート・コンヴェンションを知りました。80年代育ちの私は当時ニュー・ウェイヴというインディペンデントから続々と発表される音楽が大好きで、そんな中に「ネオ・アコースティック」というジャンルがありました。「ネオ」とあるのだから本家本元があるのだ!「それはどんな音楽だろう」と思ったものです。既に女性ヴォーカルを優先していた私には、悲しいかな、「ネオ・アコースティック」に女の子ヴォーカルは少ない状況でした。なので、新しく発売される作品と、70年代、60年代と遡って中古盤や再発盤のレコードも購入し、それらの新旧の音楽を平行して聴くようになってゆき、そんな流れの中で、ジャケ買いなのですが、ペンタングルの1stアルバム『ペンタングル』(再発盤レコード)にとても感動して、この『クルエル・シスター』で完璧にノックアウト!という状態となったのです。「美しいけれど悲しい調べ」というのはどんな音楽ジャンルでも私の好きなキーとなるようなのですが、このペンタングルの『クルエル・シスター』を聴いた折は、さらになにかゾクゾクするような「美しいけれど怖い」という印象を強く受けたのです。それは何故かと幾度も聴いているうちに、太古の伝承(バラッド)を元に作られた楽曲たちであること、そんな時空を超えた幽玄美のような世界に魅了されたのでした。そして、トラッド・フォークやフォーク・ミュージックをさらに好きになり今も継続中です。生音も電子音もそれぞれに魅力があるので、私はどちらかを贔屓することはないお気楽者リスナーです。  

 

 この絵はスコットランドの画家ジョン・ファエド(JOHN FAED:1819年8月31日~1902年10月22日)の『クルエル・シスター』です。上記の英国トラッドフォーク・バンドのペンタングルの歌と同名タイトル。私はジャンルをあまり意識せず女性ヴォーカルがいつの間にか大好きになり、今では愛好しているのだという自覚さえあります。少女愛好と無縁でもないのです。そんな中でトラッドフォークが好きになってゆきましたが、何と云ってもあの幻想とロマンの歌詞の世界とメロディに魅了されたからです。そのきっかけとなった曲がペンタングルだったのです。 ロマン主義とも無縁ではなく、美しくも残酷な伝承たちは遥か太古の時代から生き続けている。元来、神話や妖精物語が大好きなので今もまだまだ色々と読んだり鑑賞したり。フランシス・ジェームズ・チャイルド(FRANCIS JAMES CHILD:1825年2月1日~1896年9月11日)というお方の大偉業である『チャイルド・バラッド』の文献の日本語訳(全部ではないけれど)が全3巻として発行された折は飛び上がる思いで、今も机の片隅にいつも居るご本たち。この『クルエル・シスター』は『チャイルド・バラッド』の10番(チャイルド氏の名がリスト番号となっている)の『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』と題されたものと類似したお話。似たお話は、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズを中心にヨーロッパ各地までに及ぶ「バラッド集」は幾種類もの文献が存在する。私は特に研究家でもないので限られた手許にある資料を参考にさせて頂いている。

 姉妹物語が好きでもあるので、今日はこの絵に関連した『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』のことを。この絵の三人は、真ん中の騎士と向かって左の女性が姉で右が妹。この騎士は妹を愛しているのだけれど姉の妬みにより、可哀相に妹は姉の手によって川へ突き落とされて死んでしまう。姉は黒髪であることが強調されているようで、妹は金髪で白百合のような手で細い腰の美しい娘である。しかし、姉の手によって溺死してしまう。妹は浮いては沈み浮いては沈み水車の堰まで流れてゆく。粉屋が娘を見つけ、竪琴弾きが通りかかり、その娘の蒼い姿をみつめ泣く。竪琴弾きは娘の肋骨(ほね)で琴を作り、娘の髪で弦を張り、その竪琴を持ってお城にゆく。その音色は石の心も和らげ、その調べは人の心を悲しませる。お城に着き石の上においたその琴はひとりでに鳴り出すのであった。

琴がならした最後の音は
ビノリー ビノリー
「ひどいお姉様のヘレンにわざわいあれ」
きれいなビノリーの水車のほとり

引用:『チャイルド・バラッド』より

 「肋骨(ほね)で琴をつくり」、「髪で弦を張り」という現実的とも非現実的ともいえる表現について、ウィンバリーは「『二人の姉妹』は骨=魂の関係の証拠であり、娘の精霊が髪の毛に現れている」と述べている。なので、琴が妹の化身であるということでもあると、解説にあります。 「ビノリー ビノリー」のリフレインがまた不気味に美しいのですが、こうした伝承バラッドには詳しい舞台設定などは無く、淡々と突発的に物語が進んでゆくのも愉快です。黒い髪の姉は色黒のようであり、この時代「黒い」とか「黒」は不吉な、とか、野蛮、劣悪さの象徴とされていた時代。赤い髪もかなり酷い扱われ方をしてきたので、生来赤毛の私は身につまされる想いでもありますが、こうした伝承世界に有色人種に対する嫌悪は隠せない時代であったことも、長い歴史の中で考えさせられ学びとなると想っています。ちなみに、ペンタングルの歌の最後では、この残酷な姉は涙を流して終わりますが、バラッド詩の中では残酷な姉は妹の呪いの歌声(調べ)を聞きながら終えるのが通説のようです。

 

 

PENTANGLE / CRUEL SISTER

 

2011年06月14日

少女時代の甘い夢から醒めては微睡む刻★メレディス・モンク(MEREDITH MONK)を聞きながら♪  

 2年程前にあわや救急車!?という厄介な持病の胃腸障害による激痛に襲われた。暫くして治まりお仕事をしながら聴いていた愛しき音楽。また時期を同じくして何故か私はこのアルバムに呼ばれたかのようだった。膨大な作業が私を待っている。愛しき音楽たち。持病とやらは厄介でどうしようもないけれどこれも私。どうした訳かまったく儲かりもしないお仕事も同様に私の一部のように思えるようになってきた。苦しいなあ・・・ゆえに愛おしい! 

 メレディス・モンクの『DOLMEN MUSIC』は1981年に新譜として発売された折に、行きつけのレコード屋さんの「ニュー・リリース」コーナーで見つけた。全く予備知識無し!完全なジャケ買いだった。今までジャケ買いに関してはハズレが一度も無いことは唯一の自慢かな。レコードだったので、帰宅後、スプレーをかけてドキドキしながら針を下ろす...まだ10代のくせにこういう風変わりなアーティストとの出会いが多かった。それは今もとても影響を受けているだろうし幸運にも思う。とても高いお声から低いお声までを駆使したそのヴォイスはヴォーカルであり楽器だと感じた。このお方の喉は大丈夫だろうか?と思ったりしながら、歌うことなど出来ない私はこの奇妙なヴォイスと音空間に聴き入り魅入った。いつ聴いても、やはり「GOTHAM LULLABY」という1曲目の1975年の曲がたまらなく好き!当時、よく友人たちと好きな曲をカセット・テープに録音しては交換していた。よくこの曲を入れていたのだけれど、反応は無かった。数年後、プログレやジャズも好きなミュージシャンでもあった友人や当店主とようやくメレディス・モンクの素晴らしさについてお話できる日が訪れたのだった。そんなことを思い出す。  

 1981年の私はというと、音楽はボウイ、映画はヴィスコンティ、愛読書はニーチェだった。結構丁寧に書物を読む気質だと思っているけれど、数冊だけはボロボロのものがある。そのほとんどはニーチェで、どうしても手離せなくてボロボロゆえに愛おしい。10代の最も多感な時期に巡り合えた御本や音楽、映画たち・・・不思議な符号が私の10代のあの限られた刻と重なることが多い。活字の力、声の美力を信じている今の私はあの蒼い私を苦笑しながら見つめる。

 難解なニーチェながら私は好きなのだ、何故か今も。理解や研究などできないけれど、あのアフォリズムの数々の中に心に飛び込む言葉が多いから。ニーチェは音楽をとても愛していた。また、音楽と言葉が一致することは不可能だ...というようなことも語っている。メレディス・モンクというお方はご自分の内面から湧き上がる感情を音としてヴォイスで表現する。”歌う”という言葉が少し似合わない時もある。前衛的ではあるけれど、涙が出るほど優しい曲でもある「GOTHAM LULLABY」は不調な今朝の私に届けてくださった音なのだろう。でも誰が?・・・といつも不思議☆

 

★メレディス・モンクの「「GOTHAM LULLABY」です★



MEREDITH MONK / DOLMEN MUSIC

2011年06月13日

『オルランド』 監督:サリー・ポッター 主演:ティルダ・スウィントン 歌:ジミー・ソマーヴィル(1992年)  

 何からお話したら良いのだろう...もう、全てが大好き!そんな幸せな映画。1992年のサリー・ポッター監督作品『オルランド』。男性から女性に変わった主人公オルランドが、「同じ人間。何も変わらない、性が変わっただけ」と語る。サリー・ポッター監督はさらに天使がオルランドを迎えに来るという夢のような結末で描いている。原作はヴァージニア・ウルフの『オーランドー』。その原作を監督が何度も読み返しては書き繰り返したという。そして、主役のオルランド役にはこのお方しかいないだろう!というティルダ・スウィントン!この中性的な性別を超えた美しい存在。さらに400年もの時空をも軽く超えてしまう。何を着ても素敵なティルダですが、この映画の楽しさのひとつに各時代の様式がお衣装などでも堪能でき嬉しい。ルネサンス~バロック~ロココ~ヴィクトリア時代。このようなコスチューム・プレイの楽しみもあるので文芸や歴史劇が好きなのかも。エンディングの歌では、ジミー・ソマーヴィルとサリー・ポッターがデュエットしている。この曲『COMING』がまた幸福感を倍増するのだ。両性具有という言葉、あるいはアンドロギュヌスについて興味があり調べたりした時期があったけれど、今もこういうテーマは異常に好きなよう。何故だろう?まぁ好きなのだからいい。ヴァージニア・ウルフについても触れたいけれど、またの機会に。でも、ちょっと澁澤龍彦氏のお言葉を追記させていただきます♪

「そもそも、天使は男性であるか女性であるか。― しかし、今日では、この疑問には明確な答えを提供し得るはずであろう。すなわち、天使は男性でもなければ女性でもなく、第三の性、一箇のアンドロギュヌス(両性具有者)にほかならないのだ、と」 
澁澤龍彦 『夢の宇宙誌』 より

 ジミー・ソマーヴィルというとファルセット・ヴォイス!そしてゲイであることを公言されているお方であり、80年代からブロンスキー・ビート~コミュナーズ(相棒はリチャード・コールズ)~ソロ活動と現在も独自の表現活動をされている。良い曲多いのですが好き嫌いの分かれるお方のようでもあります。それも個性ゆえ!最近のポップ事情には疎くなっていますが、80年代育ちの私としましては、80年代の男性デュオ(ユニット)って多かった気がします。それもゲイである方が多く、ジミー・ソマーヴィルは早くから歌の中でその問題を取り上げて来られた。今現在よりもクローゼットされていたあの時代に、と思うとますますジミー・ソマーヴィルは勇気と才能に恵まれた稀有なるアーティストのお一人に思えます。このお声を聴いていると心がほっこりするのはやはり美しいからでしょうね☆



O.S.T. / ORLANDO

2011年06月09日

ポーティスヘッド(PORTISHEAD)『ダミー(DUMMY)』(1994年)

 

 ポーティスヘッド(PORTISHEAD)の1994年1stアルバム『ダミー(DUMMY)』は、私にとって90年代最高の衝撃的アルバムであったように想う。クロディーヌ・ロンジェのような可憐なヴォーカリストも大好きなのだけれど、どういう訳か私には暗黒天使も必要らしい。多くは居られない。このヴォーカルのベス・ギボンズ(BETH GIBBONS)が最も新しく出会えた暗黒天使。アルバムの1曲目はとても重要で、その『ミステロンズ(MYSTERONS)』のイントロから既に引き込まれてゆく感じ。この物憂い暗鬱さは当時の私の心に実に相性が良かったとも想う。両親の死をまだ受け入れることのできないままvelvetを始めた頃。でも無我夢中だったと想う。そして、また再び音楽に満ち溢れた毎日が始まった。このレコードを壁や立てかけるように陳列していた。それも、「ゴシック・ロック」的な音楽たちの集まったコーナー近くに。「テクノ」というコーナーを探すお方が多かったけれど、私にとってこのアルバムは「ロック」であり「ゴシック」であった。それは「祈り」のような感覚を抱いたのかもしれない。そんなカテゴライズなどどうでも良いと想う、人それぞれの感性やイメージで異なるのだから。ただ、私にはこのどこかメランコリックであり遠い記憶が呼び戻されるような世界が心地良く安堵した。ベス・ギボンズのお声はクールなようで優しく響く。まるで、デヴィッド・リンチ映画のようなミステリアスなポーティスヘッドの音楽世界は既に孤高なものであった。              

 

PORTISHEAD/DUMMY

2011年06月05日

ジャック・イジュラン(JACQUES HIGELIN)『悪魔のシャンパーニュ(CHAMPAGNE)』

 ジャック・イジュラン(JACQUES HIGELIN)は1940年10月18日生まれ。子供の頃から歌を歌ったり劇場に立っていたりしていたという。けれど、俳優として映画出演されるキャリアから注目され出す。マリー・ラフォレと共演したマルセール・ムーシー監督の『赤と青のブルース』(1960年)、ジュビス坊やことアントワーヌ・ラルチーグ主演のイヴ・ロベール監督の『わんぱく旋風』(1962年)でジュビス君の兄役も演じていた。また、あのカルト映画『アイドルたち』のマルク・O監督との出会いも大きいようだ。音楽的素養は天性のものだろうけれど14歳頃にシドニー・ベシェと出会いピアノを弾いたそうだ。次第に自分の言葉で演じたり歌ったりするようになる。ジャック・カネッティとの出会いからボリス・ヴィアンの曲等を歌い歌手としても作品を世に出す。その頃、演劇とシャンソンを融合したような不可思議なものを作っておられる。そのメンバーはブリジット・フォンテーヌとアレスキー・ベルカセムである。ピエール・バルーが彼等の才能に惚れ込み「サラヴァ(SARAVAH)」より作品を発表してゆく。最初はイジュランとアレスキーの連名による『HIGELIN&ARESKI』で1969年のこと。その時イジュランは30才手前だった。さらに、ジャック・イジュランがスターとなるまでにはまだ年月が必要であった。1979年頃からようやくイジュランの表現する世界が注目され人気を得てきたのは、サーカスを導入した演劇的なシャンソンとロックを融合した独自のステージにあったようだ。イジュランは40代になりフランスのスターとなる。遅いようだけれど、スターを目指して活動されておられたのではないだろう。そして、息子であるアルチュール・Hも素晴らしいアーティストとしてデビューされ活躍中。

 私はジャック・イジュランというお方を気にし始めたのはブリジット・フォンテーヌとの楽曲たちによる。イジュランのあのお声が好き。子供の頃から掠れた声質だったそうだけれど、歳を重ねてゆく程にそのお声は深く渋味のある、なんとも素敵な響きに想っている。音楽もシャンソンでありながらロック(ニュー・ウェイヴの時期も)、けれどそれらの音楽はすべて「ジャック・イジュランの音楽」なのでカテゴリーは吹っ飛ぶ。クールかつデカダンなあの奇妙な魅力はイジュランの世界。でも、新しいフランスのロック・ミュージックを作り上げたお方には違いない。素晴らしい!また、イジュランの作品に参加されているミュージシャン方も凄く、フランスのプログレ人脈満載でツワモノ揃い。ジャック・イジュランの代表曲というとやはり『悪魔のシャンパーニュ(CHAMPAGNE)』は欠かせない。この1979年アルバムには、ミッキー・フィンがギターで参加されている。ミッキー・フィンなので触れてあるものを幾つか読んでみてもどれもあのT・REXのと書いてあるのだけれど、違うミッキー・フィンでミッキー・フィン&ザ・ブルーメンというバンドのお方。同じ名前なので情報が交錯していたのだろうけれど、T・REXのミッキー・フィンならばパーカッションも担当される筈だろうし。イジュランのアルバムに参加された方のミッキー・フィンは英国からフランスに活動の場を変えていたように想う。その年代は正確には知らないけれど、ニノ・フェレールのアルバムにも参加されている。もっと発見できるかもしれないな。ああ、ややこしいけれど愉しい。ジャック・イジュランの他の好きな作品は多数あるので追々にと想う。 また、イジュランはシャルル・トレネの大ファンでもあります♪

 

★ジャック・イジュランの「悪魔のシャンパーニュ」です★

 

JACQUES HIGELIN

 

2011年06月05日

ジス・モータル・コイル(THIS MORTAL COIL)『涙の終結(IT'LL END IN TEARS)』(1984年)  

 ジス・モータル・コイル(ディス・モータル・コイル)の1984年の1stアルバム。このプロジェクトは「4AD」の社長でありプロデューサーでもある、アイヴォ・ワッツ・ラッセルによる企画プロジェクトで、「フェイヴァリット・ミュージシャンによるフェイヴァリット・ソング集」のような計画を実現させてしまったもの。現在までに3作品ある。この第一弾となる極めて美しい正に「涙の終結」という邦題の如く耽美的な作品。殊にティム・バックリーのカバー「警告の歌(Song to the Siren)」を歌うエリザベス・フレイザー(コクトー・ツインズ)は一級の芸術品のように美しく大好き!レコーディング中にこの曲を聴きながら涙したアイヴォ氏であったという逸話も残されている。  

 このアルバムの参加ミュージシャンは、コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザー、ロビン・ガスリー、サイモン・レイモンドの3人、シンディートークのゴードン・シャープ、カラーボックスのマーティン・ヤングとスティーヴン・ヤング、デッド・カン・ダンスのブレンダン・ペリーとリサ・ジェラルド、モダーン・イングリッシュのロビー・グレイ、ウルフギャング・プレスのマーク・コークス、X-マル・ドイッチェランドのマニュエラ・リッカーズという「4AD」アーティスツだけでも豪華ながら、さらに、元マガジン(バズコックス)のハワード・デヴォート、マーク・アーモンドのマンバスのメンバー(ストリングス担当)のマーティン・マクガーリックとジニー・バルも参加!アイヴォが選んだという6曲のカバー曲は、アレックス・チルトンの曲が2曲(1曲目と3曲目)、ティム・バックリー(2曲目)、リマ・リマ(5曲目)、ロイ・ハーパー(7曲目)、コリン・ニューマン(11曲目)。その他の楽曲も含め、アルバム全体を貫く美意識は覚醒的かつロマンティシズムに溢れたもので愛聴盤であり続けている一枚です。


★エリザベス・フレイザー(コクトー・ツインズ)の歌う「警告の歌(Song to the Siren)」★
アイヴォも涙したそうですが、私も美しすぎて泣きました♪

                  

THIS MORTAL COIL/IT'LL END IN TEARS

2011年06月04日

DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)『AION』★画:ヒエロニムス・ボス(ボッシュ)『快楽の園』

 DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)の1990年の5thアルバム。まだバンド形態としてのドコドコとした暗黒感覚に溢れていた1stから今も好きでよく聴いている。80年代の『4AD』は英国のとても好きなインディー・レーベルだった。その最も好きな時期の『4AD』はコクトー・ツインズとこのデッド・カン・ダンスが主軸だった。DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)は「デカダンス」を捩っているとも想う。  初期のゴシック感覚からさらに民族音楽や古楽に至る中世の空気が強化されていった。徐々にブレンダン・ペリーとリサ・ジェラルド(リサ・ジェラード)の2人の世界は深まって行く。個人的にこの作品がリリースされた頃、ある重圧と葛藤の時期でもあった。そんな中、この作品を聴きながら辛うじて祈りと心の平静さを保つ事が出来た。ある人生の過渡期に一緒に居てくれた音楽は忘れられない。    

 とてもヨーロッパ的な芳香が強いのだけれど、このデッド・カン・ダンスの出身はオーストラリアのメルボルン。そして、イギリスに渡りアメリカ...と活動の場を広げてゆく。それも全くスタンスを崩す事無く、商業主義に陥る事無く、独自の道をゆっくりと(その間、ソロ作品もある)。リサ・ジェラルドは麗しい美貌の持ち主(嘗て「Fool's Mate」にて"NewWave界の(?)いしだあゆみ"というような形容があった)、ブレンダンもまるで貴公子の様な佇まい。しかし、彼らはジャケットにはご自分の容姿ではなくあるシンボル的なものや絵画などを使う。この1990年のアルバム『AION』のジャケット・デザインは23Envelopeではなくブレンダン自らが担当。この絵画はヒエロニムス・ボス(ボッシュ)の作品が使用されている。フランドル(ネーデルランド)のルネサンス~ゴシック派の画家である。

 ヴォーカルも大体半分ずつ位を担当する。彼らに比較出来るグループが見当たらない。ジャンルも難しいけれど、ゴシック~クラシカル・ロック~チェンバー・ミュージック...という様な音のファンの方には気に入って頂けるかもしれない。ニコ(NICO)の世界を想い浮かべることもできるかも。私は稀に生理的に苦手な音楽もあるけれど用語化されたジャンルに偏見を持ちたくはないと常々想う。何故なら、雑音(ノイズ)から音楽は生まれたのだから。ロックにもこの様な独自の世界を追求している人達が実は世界中に存在する。それらの音楽に巡り会う度に喜びを感じてもいる。

「ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)について知ってる二、三の事柄」  

 ヒエロニムス・ボス(ボッシュ)は中世末期の興味深い画家のお一人であり、描き出される地獄の幻想は奇怪で不穏でもある。時代が宗教と死(魔女なども)に支配された、そんな時代を反映させているとも云われる。けれど、最大の謎とされるのはボッシュ自身で、ほとんどこの人物像はわかっていない。1450年~1516年という生涯の大半をネーデルランドのスヘルトーヘンボスという町で過ごされたそうだ。世紀を超え、今も残された作品たちは困惑を伴って私を魅了する。    

 この「デッド・カン・ダンス」のアルバムジャケットに使われているものは、有名な『快楽の園』(1480年~1500年頃)の中央パネル画の一部である。この絵はボッシュの晩年の作品で、三連祭壇画の形式で描かれ、この世の快楽を飽くことなく追求した結果、地獄に堕ちる人間の姿を描いている。左翼パネルでエデンの園での堕落の種が撒かれ、中央パネルで肉欲の偽りの快楽として開花させる。そして、右翼パネルでは、地獄の責め苦が描かれているというもの。

 

★神々しい!Dead Can Danceの「Saltarello」(ライヴ)です★



DEAD CAN DANCE/AION

2011年06月03日

 

 マーク・アーモンドの1996年アルバム『ファンタスティック・スター(FANTASTIC STAR)』に収録されている曲(シングルにもなった)『アイドル パート1&2 オール・ゴッズ・フォール(THE IDOL PARTS1&2 ALL GODS FALL)』。久しぶりに聴くと必ずトキメク曲。この曲はアイドルやスターという虚実皮膜なポップ・ワールドへの愛を持ってのシニカルさで、マークならではのキラキラしたポップ・サウンドに想う。歌詞に登場する今は居ないスターたち。ルドルフ・ヴァレンチノも居ればエルヴィス・プレスリーにジェイムス・ディーン、マリリン・モンローにビリー・ホリディ、ジャニス・ジョプリンにジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズ、オズモンドにキャシディ、マーク・ボランにジョン・レノン、シド・ヴィシャスにカート・コバーン...。 ”名声という名の大きな十字架”というフレーズが好き。”好きだよ”と云い”嫌いだよ”とも。”どんな神もしまいには落ちぶれる”というのがスターの宿命、アイドルの寿命。稀にその域を超えてしまうような人たちも存在する。ミック・ジャガーでありデヴィッド・ボウイはそんな稀有なる存在だと。私の強い思い込みかもしれないけれど、イントロはボウイっぽいし、途中にもマーク・ボランっぽい箇所がある。この1996年という年は英国では「ブリットポップ」全盛の時期であったことも思い出された。マーク流のエレクトリック・グラム・ポップとも云えるような。ギターはニール・X(ジグジグ・スパトニック)だし、プロデュースとシンセサイザーはソフト・セル時代からの盟友マイク・ソーンが担当というのも納得。 このアルバム『ファンタスティック・スター(FANTASTIC STAR)』の他の楽曲もすべてマークならではのポップ・ミュージック!参加ミュージシャンも豪華で、クリス・スペディング、ジョン・ケイル、デヴィッド・ヨハンセンとの共演、そして、やはりニール・Xの存在はかなり大きいと再確認するのでした。

 
 ★Marc Almond の「The Idol」です★
 
 


MARC ALMOND/FANTASTIC STAR